慶性門 けいしょうもん
都立狭山公園内にある移転修復された慶性院の山門。
村山貯水池(多摩湖)が造られたとき、そこにあった7つの集落から、161戸の家々と、3つの寺院、3つの神社が移転を余儀なくされました。 その寺院のひとつ、慶性院は芋窪に移転しましたが、山門(慶性門)だけが多摩湖のほとりに保存されています。
案内板より
明治45年(1912年)、ここに貯水池が建設されることになりました。
村山貯水池(多摩湖)になったところに住んでいた人々は、移転しなければなりませんでした。上貯水池は大正13年(1924年)に、下貯水池は昭和2年(1927年)に完成しましたが、その間に湖底にあった160戸余りの家々が移転してきました。慶性門は、石川の谷(現在の上貯水池の西部)にあった慶性院山門で、寺院の門としてはあまり一般的ではなく「長屋門」の形式をとっています。最近では、ほとんど見られない門構えの形です。
長屋門の両側が部屋で人が住む造りになっています。
大正11年(1922年)、慶性院が現在の芋窪に移転したとき、山門はそのまま取り残されてしまいました。昭和29年(1954年)、貯水池愛護会の有志は荒れ果てた山門の姿に心を痛め、ここに移転し修復しました。
このときに、この山門が文久元年(1861年)に建てられたことがわかりました。この移転から40年近くが経過した平成3年(1991年)、再び修理をし建設当時の姿を現しました。東大和市は、まちの歴史の象徴として、この建造物を永く保存することにしました。
山門をくぐり小高い丘の上には伝説の巨人、大多羅法師(ダイダラボッチ)があります。
住所 | 東大和市多摩湖2 |
駐車場 | なし |
アクセス 公共交通 | 西武鉄道狭山線西武球場前駅より徒歩約10分。 最寄駅 > 西武球場前駅(西武鉄道)~723m |
アクセス 車 | 最寄IC > 入間IC(圏央道)~9.357km |
レポート
村山貯水池(多摩湖)が建設された際、移転を余儀なくされた慶性院。その山門は歴史的価値があり東大和市により、3000万円をかけて修理をして建設当時の姿を狭山公園内に保存されています。場所は、芋窪方向から、村山上ダムに架かる橋(県道・都道55号線)を西武球場前駅方面へ進み、橋を渡りきった最初の信号左手にあります。また西武球場前駅からは、県道・都道55号線を多摩湖に進み坂を登りきった辺りの右手にあります。徒歩約10分。駐車場はありません。
狭山湖(山口貯水池)方向に向かう途中の道路は、夜の桜季節には、桜のトンネルとなりヘッドライトが照らす桜が幻想的でしたが、現在は片側に歩道が整備され、かなりの桜の木が伐採されてしまい残念です。
慶性門付近、西武球場前駅方向の道路の様子です。T字路を狭山湖(山口貯水池)方向を望む。慶性門付近交差点。
慶性門入口付近から交差点を望む。T字路になっています。西武球場前駅から多摩湖に進み坂を登りきったあたりです。慶性門の正面です。
綺麗な花を咲かせていました。入口途中から道路(県道・都道55号線)を眺めた様子です。狭山公園(慶性門)についての案内板。
慶性門です。慶性門の説明板です。門入口左右には金網が張られていました。
入口に向かって左側の様子です。入口に向かって左側の部屋の様子ですが、薄暗くてよく見えません。振り返って自転車橋を見た様子。
後方からの慶性門。西側からの写真です。正面左側からの写真です。
門を抜け小高い丘に通じる道です。泥染植物の案内板。案内板付近の様子です。湖底の村広場の案内板。案内板付近の様子です。
湖底の村広場の案内板あたりから、小高い丘に通じる道です。大多羅法師の案内板。登りきると伝説の巨人、大多羅法師(ダイダラボッチ)があります。大多羅法師(ダイダラボッチ)付近の様子です。
大多羅法師のある丘から慶性門に下る道の様子です。途中み右に折れる道には木の蜜にスズメ蜂がいました。多摩湖、西側堤防の様子です。道路部分は歩行者用の徒歩スペースがないため堤体の下に歩行者通路が整備されています。多摩湖(村山貯水池)には160戸余りの家々が沈んでしまいました。