武蔵国分寺 むさしこくぶんじ
基本情報
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、武蔵国国分寺の後継にあたる寺院。
元弘3年(1333年)新田義貞は上野国新田庄で鎌倉幕府討伐の兵を起こし(分倍河原の戦い)日本最大の寺院と伝わる武蔵国分寺に火をかけ焼失(大敗し敗走の際)させた、後、建武2年(1335年)、新田義貞により薬師堂が再建されたという。その後衰退し、宝暦6年(1756年)頃に薬師堂が再建された。
楼門:国分寺門前に建つ。米津出羽守田盛(通称内蔵助)の元菩提寺として建立された米津寺(東久留米市)の楼門を明治二十八年に移築したもの。
住所 | 国分寺市西元町1-13-16 |
アクセス 公共交通 | ・JR国分寺駅より徒歩約18分 ・JR西国分寺より徒歩約15分 最寄駅 > 西国分寺駅(JR)~1.106km |
アクセス 車 | 最寄IC > 国立府中IC(中央自動車道)~6.044km 稲城IC(中央自動車道) |
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レポート
2013年1月12日(土)武蔵国分寺へ立ち寄ってみました。
散策ルート > お鷹の道 > 真姿の池 > 武蔵国分寺跡資料館 > 武蔵国分寺 > 国分寺薬師堂へ。
武蔵国分寺は日本最大の寺院であったとのことです。旧武蔵国分寺の創建は、8世紀半ばの750年代末から760年代初と推測され七重塔などもあったそうです。武蔵国分寺跡資料館にある推定復元模型を見るとその規模が伺えます。残念なことに分倍河原の戦いで焼失。
現在は境内にある国分寺薬師堂:宝暦年間(1751年-1763年)の再建と仁王門:宝暦年間(1751年-1763年)の建立が歴史的に古い重要文化財としての見所です。
米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築した楼門。国分寺楼門の説明。
楼門から本堂を眺めた様子。現在の武蔵国分寺本堂。
境内にあるは「万葉植物園」。植物園は元国分寺住職が昭和25年(1950)-38年(1963年)の間に万葉集に歌われた植物160種を集めて造ったとのこと。万葉植物園の説明。
国分寺薬師堂
国分寺の西にある堂宇で、隣接して仁王門や鐘楼があります。