殺生石 せっしょうせき

正体を見破られ、那須野ケ原で退治された狐が、石に姿を変えた。狐の怨念は、石から吹き出す有毒ガスによって、人や動物を殺すほどだったので、「殺生石」の名が付いたとされる「九尾の狐」の伝説で知られる。遊歩道は、那須高原展望台まで2.3km、約1時間のハイキングコース。
住所 | 那須郡那須町湯本 |
駐車場 | あり |
アクセス 公共交通 | JR黒磯駅→東野交通バス那須湯本行きで35分、バス停:那須湯本下車、徒歩3分 |
アクセス 車 | 東北道那須IC15km30分 |
問い合わせ | 那須観光協会 |
TEL | 0287-76-2619 |
レポート
この地は松尾芭蕉が訪れた事でも有名で、「昔中国や印度で美しい女性に化けて世を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾(玉藻前)は死んでも人に危害を加える巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪った」と伝わるが残る九尾の狐伝説の場所です。
付近は硫黄の臭いがたちこめ、殺伐とした雰囲気でした。
県道17号那須高原線沿いにある駐車場。殺生(せっしょう)石方向の風景。湯川に架かるいてゆばし。
いてゆばし。橋の中央から殺生石方向を望む。木道が整備されいます。殺生石と松尾芭蕉の説明。
那須温泉・殺生石と白面金毛九尾の狐伝説・殺生石案内図・風景林の説明及び案内等の立て看板。
盲蛇石(めくらへびいし)。昔、五左ェ門が神の使いである盲目の大蛇を助けた事で、湯の花の作り方を伝授されたそうです。その後、村人達は蛇の首に似たこの石を"盲蛇石"と名付け感謝の気持ちを込め信仰の対象にしたようです。
付近のゴツゴツとした溶岩。賽の河原の向こうに見える千体地蔵。
湯の花畑(湯の花採取場)。「湯の花(みょうばん)の縁起」説明板。千体地蔵。
教伝地蔵尊。教傅地獄の由来の看板。
教傳地獄の由来第96代御醍醐天皇の御代(1318)の頃、奥州白河在の五箇村に蓮華寺と言う寺があり、「教傳」と言う住職がおりました。この教傳は生まれながらの不良少年で、心配した母がお坊さんにしようとしてこの寺に預かってもらいました。その教傳も28歳になって、前の住職の跡をつぎ、母と一緒に寺に住むようになりましたが、その行いは少しも直りませんでした。元亨元年(1336?)のことです。教傳は、2・3人の友人と一緒に、那須温泉に湯治に行くことになりました。その日のことです。教傳は、母が朝食を用意してすすめると教傳は教傳はまだ旅仕度も出来てないのにと悪口を言いながら、お膳をけとばしてそのまま出発してしまいました。那須温泉に着いた教傳はある日殺生石を見学しようと賽の河原附近まで行くと今まで晴れわたっていた空が、俄かに(にわかに)かきくもり雷鳴が天地をゆるがし、大地から火炎熱湯が噴き出し、連れの友人はいっせいに逃げ去りましたが、教傳は一歩も動くことが出来ませんでした。ふり向いて見ると「おれは寺を出るとき母の用意したお膳を足げりにして来た天罰をうけ、火の海の地獄に堕ちて行く」と教傳が大声をあげ苦しみもがいております。友人がかえ寄り助けようと引き出したが、教傳の腰から下が、炭のように焼けただれており息をひきとってしまいました。それからも教傳が引き込まれたところには泥流がフツフツと湧いていましたが、いつしか山津波に埋まってしまった。その後、湯本温泉の有志が享保5年に地蔵を建立して供養を行い、親不孝のいましめとして参拝する者が後を絶たなかったと言うことです。
那須町観光課・那須観光協会
駐車場方向を振り返って見る。殺生石の由来の看板。
殺生石は注連縄で結ばれています。 那須湯本の殺生石は、九尾の狐が吹き出した猛毒が、あたり一面に立ち込め、あらゆる生き物を殺したという伝説の残る場所です。那須高原展望台(恋人の聖地)までの遊歩道も整備されています。