神社・寺院・歴史 一覧
-
鹿児島の島々
- 神社・寺院・歴史都道府県選択
- 鹿児島県全て
- 鹿児島・桜島 [15]
- 北薩摩・川内 [13]
- 霧島・国分 [9]
- 南薩摩・指宿 [10]
- 大隈半島 [10]
- 鹿児島の島々 [31]
-
せ 栖林神社
- [ 神社 ]
-
西之表市
第19代島主の種子島久基を祭った神社。神社の名は晩年の号(栖林)から。毎年1月には、一年の平安を祈念し、直
-
う ウィルソン株
- [ 歴史 | 自然 | 見学 | パワースポット ]
-
熊毛郡屋久島町宮之浦岳 国有林内
大正3(1914)年にアーネスト・ウィルソン博士が紹介した屋久杉の切り株。牧村の五郎七が足場を組み、豊臣秀
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 公園 ]
-
熊毛郡屋久島町宮之浦
宮之浦港の出入口にある松原公園。戦後間もないころは現在より広大な松原があったため「なごりの松原」と呼ばれる
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
-
大島郡和泊町根折1313-1
沖永良部島に古くから伝わる文化や歴史を保存、展示。「ユリの世界」「沖永良部の自然と出土品」「沖永良部の民俗
- [ 神社 ]
-
鹿児島郡三島村硫黄島
治承二年二月、平家討伐の陰謀がもれ、京を追放され流人の俊寛、藤原成経、平康頼らが、紀州の熊野三所権現を模し
-
し 俊寛堂
- [ 歴史 | その他 ]
-
鹿児島郡三島村硫黄島
治承元年(1177年)、京都・鹿谷でめぐらした俊寛の平家討伐の陰謀が漏れ、藤原成経、平康頼らとともに流され
-
し 俊寛像
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
-
鹿児島郡三島村硫黄島
赦免で迎えにきた船に乗ることができず、島に残された俊寛の絶望を体現した像。平成7年に建立された。除幕式に招
- [ 神社 ]
-
大島郡和泊町手々知名
文久2年8月から元治元年2月まで(1862年~1864年)、薩摩藩主島津久光の怒りにふれて沖永良部島に流刑
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
-
大島郡天城町天城439-1
島の人々の歴史や文化、民俗などを紹介。
天城町の歴史・民俗・産業などを紹介するとともに、その根底をなす「ユイの精神」を取り上げています。
-
さ 西郷南洲謫居跡
- [ 歴史 ]
-
大島郡龍郷町龍郷166
安政の大獄で一命をとりとめた西郷隆盛が、安政6(1859)年から3年間生活をしたところ。明治31(1898
-
あ 安徳天皇墓所
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 歴史 ]
-
鹿児島郡三島村硫黄島
平家ゆかりの歴史薫る島に安徳天皇の墓所が立つ
元暦2(1185)年に壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家は、幼い安徳天皇を連れて逃げ、硫黄島にたどり着いたと伝
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
-
大島郡瀬戸内町諸鈍
加計呂麻島は渥美清主演の映画「男はつらいよ」の最終話の舞台。ヒロインの住居として使ったリリーの家や、スリ浜
-
か 門倉岬
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 岬 | 遊歩道 ]
-
熊毛郡南種子町西之崎原
種子島最南端の岬であ鉄砲伝来の地にある景勝地。一帯には、鉄砲伝来紀功碑や伝来450周年にポルトガルから贈ら
-
や 益救神社
- [ 神社 ]
-
熊毛郡屋久島町宮之浦277
平安時代の『延喜式神名帳』に登場する、日本の最南端に位置する式内社。旧称として須久比ノ宮・一品宝珠大権現と
-
あ 安脚場戦跡
- [ 歴史 ]
-
大島郡瀬戸内町安脚場
加計呂麻島には第二次世界大戦当時の要塞にまつわる戦跡があり、太平洋に臨む島内東部の安脚場戦跡もそのなかの一
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
-
大島郡徳之島町井之川
徳之島出身の第46代横綱になった朝潮の碑。
昭和23年秋場所初土俵、昭和32年春場所2回目の優勝で大関昇進。昭和34年春場所横綱に昇進した徳之島出身の
-
く 黒木御所跡
- [ 歴史 ]
-
鹿児島郡三島村硫黄島
壇ノ浦の戦いで敗れ、硫黄島へたどり着いたと伝わる安徳天皇。黒木御所跡は最初の住居があったと伝わる場所。現在
-
よ 世之主の墓
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
-
大島郡和泊町内城
沖永良部を統治していた世之主の墓。岩壁を掘り込んだ「トゥール墓」と呼ばれる琉球式の墓で、近くには、家来の四
-
く 楠川天満宮
- [ 神社 ]
-
熊毛郡屋久島町楠川仲町82
元文5(1740)年、紀州から海浜永瀬に流れ着いた菅原道真の木像を村人が拾い上げそれを奉られている。学問の
-
と 徳之島小唄記念碑
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 歴史 ]
-
大島郡徳之島町下久志
歌手の田端義夫がヒットさせた小唄の歌碑。
徳之島小唄は徳之島では有名で、作詞が名倉幸一郎、作曲が三界稔で唄は田端義夫がヒットさせた。
- [ 歴史的建造物 ]
-
大島郡喜界町阿伝
奄美諸島に多いサンゴの石垣。サンゴの石垣は毒蛇ハブの棲み家になりやすいという理由で少なくなったが、ハブのい
-
や 大和浜の群倉
- [ 歴史的建造物 ]
-
大島郡大和村大和浜
かつて穀物の貯蔵庫として島内に点在していたもので、大和村役場の近くに今なお残る。釘を1本も使わず、梁や桁を
-
し 島尾敏雄文学碑
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
-
大島郡瀬戸内町呑之浦
「死の棘」などの作品で知られる作家の島尾敏雄の文学碑。島尾は海軍の第18震洋隊長としてこの地で終戦を向かえ
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
-
大島郡伊仙町伊仙83-4
旧石器時代から現代までの、伊仙町の歴史を紹介する資料館。
徳之島や伊仙町の歴史・民俗などに関する資料を展示している他、戦艦大和に関する展示コーナーもある。
-
そ 僧俊寛の墓
- [ 碑・像・塚・石仏群 | 歴史 ]
-
大島郡喜界町湾
平清盛を討とうとした陰謀が暴露して、流罪となった僧俊寛の墓。治承元(1177)年の鹿ヶ谷事件の後、僧の俊寛
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
-
熊毛郡屋久島町宮之浦1593
屋久島の自然と島民の暮らしの歴史について学べる。館内では、昔の島民の生活や屋久杉の伐採方法、はえなわ漁など
-
た 田中一村終焉の家
- [ 歴史的建造物 ]
-
奄美市名瀬有屋38-3
奄美の動植物や風景を描き続けた画家、日本画家田中一村の住居跡。生涯を閉じたとされる建物が集落の一角に残って
-
か 雁股の泉
- [ 歴史 ]
-
大島郡喜界町小野津1563-1
雁股の矢が刺さったといわれる泉
源為朝が琉球に渡ろうとした途中でシケにあい、喜界島の沖合いを漂っているときに、島に住民がいるかどうかを確か
- [ 神社 | 自然 ]
-
熊毛郡中種子町坂井木村
坂井神社の境内にそびえ立つ雌株のソテツ。標高7m、樹長10m、根回り2m以上もあり、樹齢600年以上といわ
-
よ 与論城跡
- [ 城 | 歴史 ]
-
大島郡与論町城
15世紀初頭、琉球北山王の三男、王舅が島に渡り、島主となって築城を始めるが、王朝が滅亡したために未完成の城