観光 -旅案内 たびあん
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治承元年(1177年)、京都・鹿谷でめぐらした俊寛の平家討伐の陰謀が漏れ、藤原成経、平康頼らとともに流されてきたのが鬼界ヶ島と呼ばれた硫黄島。俊寛は何度も謝罪しましたが、平清盛の怒りが解けず罪が許される事は無く、37才で硫黄島にて亡くなりました。
俊寛堂は俊寛が住んでいた家の跡で、俊寛を弔うための祠。