旅案内 たびあん

俊寛像 しゅんかんぞう

碑・像・塚・石仏群
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基本情報

赦免で迎えにきた船に乗ることができず、島に残された俊寛の絶望を体現した像。平成7年に建立された。除幕式に招かれた中村勘九郎が、後に目前の砂浜で歌舞伎「俊寛」を上演。

説明書

承元年(1177年)平家討滅の密議を謀ったとして、俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経は薩摩國鬼界ケ島(硫黄島)に流罪された。康頼、成経はその後赦免されたが、残された俊寛は長浜河原の庵でひとり露命を繋ぎながら、望郷の念に泣き、仏に祈って赦免の日を待ち焦がれたが、叶うこと無く、絶望の果てに断食して、治承3年1179年)九月、三十七歳の時、朽ち果てるように往生を遂げたと言う。島の人たちは、俊寛の死を哀れみ、庵の跡に俊寛堂を建て、毎年旧暦七月十五日に、俊寛の送り火、柱松(はしたまつ)を灯す慰霊行事を今に伝えている。三島村は源平盛衰の悲劇にかかわり、史跡に明らかな俊寛僧都終焉のこの島の名を広く世に伝え、供養の念を新にするために、俊寛の像を、著名な作家木佐貫 熙氏の製作によって建立したものである。

平成七年三月 三島村

住所鹿児島郡三島村硫黄島
駐車場あり(無料)
アクセス 車硫黄島港からすぐ
TEL099-222-3141
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