森鴎外の墓 もりおうがいのはか
歴史 その他
本名は林太郎。
基本情報
東大医学部を卒業後、軍医としてヨーロッパに留学し、陸軍医務局長や陸軍軍医総監の地位に進む。その一方、文学にはげみ、以降、明治文壇の重鎮として大きな業績を残した。
大正11年(1922)、61歳で病没。墨田区向島の弘福寺に埋葬されたが、関東大震災で寺が全焼し、昭和2(1927)年に同じ宗派であった禅林寺に森家の墓地が移された。墓碑には、遺言によって一切の栄誉・称号を排して、「森林太郎墓」 とのみ刻されている(墓碑は、中村不折の書・市指定)。このことは、境内にある遺言碑に記されている。
晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。
住所 | 三鷹市下連雀4-18-20 |
アクセス 公共交通 | 最寄駅 > 三鷹駅(JR)~992m |
アクセス 車 | 最寄IC > 調布IC(中央自動車道)~12.506km 高井戸IC(中央自動車道) |
TEL | 0422-44-8365 |
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