富岡製糸場 とみおかせいしじょう
1872年(明治5)、「富国強兵・殖産興業」のスローガンの下、輸出品の主力だった生糸の生産量・品質を向上させるため、明治政府が設立した器械製糸工場。明治政府がつくった官営工場の中で、1万5000坪の敷地やレンガ造りの工場施設がほぼ完全な状態で残っているのは富岡製糸場のみ。建物外観の他、生糸を作る器械が置かれていた繰糸場など、建物内の一部が見学できる。定刻には、ボランティアによる解説案内あり。
平成26年度の世界遺産登録を目指して、平成25年1月にユネスコへ推薦書が提出されました。 ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)が「富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)」の世界遺産登録つき、登録するよう勧告した旨を発表 6月15日からドーハ(カタール)で開催される第38回世界遺産委員会で、登録が正式に決定されるはこびになりました。
住所 | 富岡市富岡1-1 |
営業時間 | 9~17時(受付は~16時30分) |
料金 | 大人1000円、高・大学生250円、小・中学生150円、未就学児無料 |
休業日 | 無休 |
駐車場 | なし 近隣の駐車場を利用 |
アクセス 公共交通 | 上信電鉄上州富岡駅→徒歩約15分 最寄駅 > 上州富岡駅(上信電鉄)~808m |
アクセス 車 | 上信越道富岡ICより3km10分 最寄IC > 富岡IC(上信越自動車道)~3.369km 下仁田IC(上信越自動車道) |
公開サイト | www.tomioka-silk.jp/tomioka-silk-mill |
TEL | 0274-64-0005 |
レポート
世界文化遺産に来月登録される見通しとなった「富岡製糸場」を訪れてみました。2014年4月26日から連休中の見学者数が過去最多の計5万600人もの賑わいをみせていただけあって、平日のGW連休明けに拘わらず多くの人が訪れていました。1872年に建築されたレトロな木骨レンガ造の東繭(ひがしまゆ)倉庫は、良好な状態で保存されていました。
富岡製糸場は明治政府が1872年(明治5)建設に後、1893年に三井家に払い下げられ、1939年(明治26)に片倉製糸紡績会社(現片倉工業)となり、第2次大戦中も操業を続け、1987年(昭和62)に操業を終えました。
城下町通りの様子。富岡製糸場の正面入り口。見学料は大人一人500円でした。
入場受付窓口。隣は検査人館です。入り口付近から東繭倉庫・行啓記念碑を望む。
戦時中の1943年(昭和18年)には、英照皇太后と昭憲皇后の行啓70周年を記念して、高さ4.6 m、幅1.86 mの行啓記念碑が建てられ現在も残っています。
東繭倉庫。場内の案内図。右手に原料課の部屋がありました。いろいろな資料を展示しています。
原料課内の資料・展示物。ビデオで解説もしています。
東繭倉庫を裏手から望む。トイレも近くにあります。乾燥場は2月14日から16日にかけての大雪で半壊していました。
半壊した乾燥場。西繭倉庫方向を望む。避難所のような場所がありました。
現在の煙突は、高さ37.5 mの煙突はコンクリート製(1939年建造)。副蚕場。
構造(木骨レンガ造)・大きさとも東繭倉庫と同じの西繭(ひがしまゆ)倉庫。
西繭(ひがしまゆ)倉庫の説明。社宅群の様子です。蒸気釜所と煙突。
レンガ造りの建物。東繭倉庫入り口付近の天井。繰糸場方向を望む。
東繭倉庫の東側にある検査人館。検査人館の案内板。
検査人館の隣は女工館があります。元々はブリューナがフランスから連れてきた教婦(女性技術指導者)たちのために建てられた建物で、後三井時代には役員の宿舎、原時代には工女たちの食堂など、時代ごとに様々な用途に転用利用されていました。女工館の案内板。繰糸工場の外観。
女工館から繰糸工場へ向かう廊下。繰糸場の入り口正面の様子です。操糸場は富岡製糸場の中で中心的な建物です。繰糸工場の案内板。
繰糸(そうし)工場の入り口。繰糸工場、内部天井・屋根。自動繰糸機。
繰糸工場内部の様子です。ビデオも放映されていました。自動繰糸機の概要図。
診療所。診療所の案内板。繰糸所の東南に位置するブリュナ館。ブリューナ一家が滞在するために建設された建物です。ブリュナ館の案内板。
ブリュナ館の西側。木造二階建ての寄宿舎。西側には川が流れていました。
木製の電柱が懐かしい。歴史的価値と見所満載でした。当日より世界遺産登録まであと48日です。城下町通り富岡製糸場入り口付近にあったお土産(くず湯・まいこもり)。試食もできます。お湯で溶いていただきます。