神社・寺院・歴史 一覧

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た 平景清息女の墓
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
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球磨郡あさぎり町岡原北1130-2
源平戦で敗北し、壇の浦から球磨へ逃げた平景清の消息を追って、村へ訪れた景清の娘の墓。父・景清の死を知り、持
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た 立田自然公園
- [ 歴史 | 公園 | 自然 ]
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熊本市黒髪4-610
立田山南麓に位置する肥後藩主・細川家の菩提寺泰勝寺跡。園内には初代細川藤孝夫妻と二代細川忠興夫妻の墓が4つ
- [ 寺院 ]
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熊本市富合町木原2040
天台宗の比叡山延暦寺の末寺で正式名は雁回山長寿寺。延暦(782~806)年中、伝教大師最澄の開基と伝えてい
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つ 塚原古墳公園
- [ 歴史 | 公園 ]
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下益城郡城南町大字塚原1234
高速道路の上にある古墳公園
約500基の古墳が集る国指定史跡。方形周溝墓、方墳、円墳、前方後円墳など、200年におよぶ古墳の変遷を一度
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ひ 人吉城跡
- [ 城 | 歴史 | 公園 | 桜 | 紅葉 ]
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人吉市麓町
人吉の領主相良氏の居城跡で日本百名城の一つ。繊月城とも呼ばれ、球磨川とその支流胸川を利用して天然の外濠とし
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へ 幣立神社
- [ 神社 | パワースポット ]
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上益城郡山都町大野
醍醐天皇の地方巡視の時建立,健磐龍命を主神とする。
大日本史に見える知保(ちほ)の高千穂嶺が当宮の所在地である。筑紫の屋根の伝承のように神殿に落ちる雨は東西の
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み 三角西港
- [ 歴史的建造物 | 海 ]
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宇城市三角町三角浦
明治政府から派遣されたオランダ人水利工師ムルドルが「こここそ天然の良港」と絶賛、彼の設計により明治17年か
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あ 荒茂山勝福寺
- [ 寺院 ]
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球磨郡あさぎり町荒茂
平重盛の供養のため、養和年間(1181)年ころに創建された伝わる。勝負の神様として評判。毘沙門天立像はクス
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
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天草市五和町二江384
縄文時代の沖の原遺跡の出土品を中心に、縄文早期からの土器や骨製釣針、土器による製塩を再現した製塩装置などを
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い 岩崎神社
- [ 神社 ]
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八代市千丁町太牟田上土374-1
千丁の地は約505年前、上土(あげつち)城主・岩崎主馬(しゅめ)忠久公が領内でい草を植えて以来、日本一の畳
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か カッパ渡来の碑
- [ 碑・像・塚・石仏群 ]
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八代市本町2
仁徳天皇の時代に、中国から9000匹もの河童が海を泳いで渡ってきたと来たとされている。カッパが上陸したとい
- [ 寺院 ]
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八代市妙見町谷2464
征西大将軍懐良親王の菩提寺で、菊池武朝が創建した。境内には親王御真筆の御両親の御霊牌(市指定文化財)を安置
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ご 五家荘平家の里
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
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八代市泉町樅木160-1
平家落人伝説が残る五家荘にあり、その歴史についてパネルや模型で解説する施設。伝統芸能を披露する能舞台もある
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ご 五家荘
- [ 歴史 | 自然 | 紅葉 ]
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八代市泉町樅木
[ 紅葉時期 10月下旬~11月中旬 ]
平家落人が隠れ住んだという有名な伝説の舞台。
五家荘は、泉村東部の山あいに散在する久連子[くれこ]・椎原[しいばる]・仁田尾[にたお]・葉木[はぎ]・樅
- [ 観音 ]
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人吉市願成寺町956(一番札所)
人吉・球磨地方には古くから観音像が点在し、その数は33札所(※35か所)。通常は10か所ほどが公開され、春
- [ 寺院 | あじさい ]
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八代市古麓町971
延宝5(1677)年に城主・松井家の菩提寺として移築され、歴代の城主や殉死者の墓が残る、臨済宗南禅寺派の末
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た 谷水薬師
- [ 寺院 ]
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球磨郡あさぎり町上南
日本七薬師谷水薬師
聖武天皇の頃、行基が諸国行脚の途中、如来像を刻み祀ったのが始まりと伝わる。山門の仁王像は、病の場所に紙つぶ
- [ 歴史的建造物 | 歴史 ]
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水俣市浜町2-6-5
徳富兄弟が幼少時代を過ごした家を復元し、一般公開している。兄の徳富蘇峰(とくとみそほう)は歴史家でジャーナ
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は 繁根木八幡宮
- [ 神社 ]
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玉名市繁根木188
応和元年(961)年に紀隆村が大野別府の総鎮守として京都の岩清水八幡宮から勧請したと伝えられる。加藤清正が
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ほ 本妙寺(熊本市)
- [ 寺院 ]
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熊本市花園4-13-20
加藤家の菩提寺。
熊本市内を見渡せる高台に立つ加藤清正の菩提所。治水事業などで領民から慕われた「せいしょうこう(清正公)」が
- [ 神社 | 初詣スポット ]
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熊本市中央区水前寺公園8-1
出水神社
熊本市の水前寺成趣園内にある神社。熊本藩歴代藩主を祀る神社として、明治時代に旧藩士らによって創建された。藩
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し 白水阿蘇神社
- [ 神社 ]
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球磨郡水上村江代1336
ヘビの神様を祀る神社。その昔、白ヘビを殺したことから災いが続いたため、好物である生卵を供え、ヘビの霊をなぐ
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ぞ 左座家
- [ 歴史的建造物 ]
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八代市泉町仁田尾
道真公の末裔が暮らした家跡
菅原道真の子孫が藤原一族の追討を避け、佐座太郎と名のって暮らした住居跡。現在は200年前に建築した建物を公
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ま 前田家別邸
- [ 歴史的建造物 | 歴史 ]
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玉名市天水町小天735-1
前田案山子の別邸で、明治30(1897)年当時、五高教授をしていた夏目金之助(漱石)が小天温泉を訪ねた際に
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や 山鹿灯籠民芸館
- [ 歴史 | 博物館・資料館 ]
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山鹿市山鹿1606-2
建物は大正14(1925)年に山鹿最初の洋館として建てられたもの。館内の展示ケースには宮造りや座敷造りの伝
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れ 歴史公園 鞠智城
- [ 城 | 歴史 | 公園 ]
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山鹿市菊鹿町米原443-1
7世紀後半に大和朝廷によって築かれた山城で、肥後国でもっとも古い城。大宰府管轄下にあった6城の1つで、城内