首里城 しゅりじょう
2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生、正殿と北殿、南殿が全焼
首里城が焼失したのは、1453年、1660年、1709年、1945年に次いで歴史上5度目となります
1945年の沖縄戦で消失したが1992年11月に復元された。14世紀末より琉球王朝時代の政治文化の中心として、繁栄してきたが、沖縄戦を含め4度消失し、復元を繰り返す。現在の建物は、平成4年に復元され、平成12年には「琉球王国のグスク及び関連道産群」として、「世界遺産」に登録される。
住所 | 那覇市首里金城町1-2 |
営業時間 | 12~3月 9:00~18:30、4~6月、10~11月 8:30~19:30、7~9月 9:00~20:30※閉館30分前で入園終了 |
料金 | 大人:820円 高校生:620円 子供:310円 (小・中学生) |
休業日 | 7月の第1水曜日とその翌日 |
アクセス 公共交通 | 最寄駅 > 首里駅(沖縄都市モノレール) |
アクセス 車 | 最寄IC > 那覇IC(沖縄自動車道) 西原JCT(沖縄自動車道) |
公開サイト | oki-park.jp/shurijo |
問い合わせ | 首里城公園管理センター |
TEL | 098-886-2020 |
レポート
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城。中国の城の影響を大きく受け、門や各種の建築物は漆で朱塗りされ、屋根瓦には初期は高麗瓦、後に琉球瓦(赤瓦)が使われ、各部の装飾には国王の象徴である龍が多用されています。
王とその家族等が住み、華麗な王朝文化を体験。現在では世界遺産に登録され沖縄観光の定番スポットとなっています。
守礼門(しゅれいもん)からスタート。守礼門は掲げられた扁額の「守禮之邦」からきている俗称とのことです。
守礼門をくぐるとすぐに世界遺産の園比屋武御嶽石門が左手に現れます。
石門の背後にある森が園比屋武御嶽です。御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所で広範な森の一部が残る。2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産に登録されました。
歓会門(かんかいもん)。 尚真(しょうしん)王時代(1477~1526年)に建立。沖縄戦での焼失後、1974年に復元。
「歓会」は歓迎するという意味で首里城郭内に入る第一の正門となります。門の左右には魔除けのシーサー(獅子)が配されています。
歓会門の先にある2番目の門「瑞泉門」(ずいせんもん)。
門の手前にある「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれるわき水にちなんで名付けられた瑞泉門。
首里城郭内に入るための第三の門、漏刻門(ろうこくもん)。かつて門の櫓に水槽が設置され、そこから水が漏れる水面の高さの変化で時間を計ったといわれています。指定の時刻になるとの役人が太鼓を打ち鳴らし、それを聞いた別の役人が首里城内の東(あがり)・西(いり)のアザナなどでも同時に太鼓をたたいて城内外に時刻を知らせました。
広福門(こうふくもん)現在は、券売所等に利用されています。
「下之御庭(しちゃぬうなー)」の西側には、系図座・用物座(けいずざ・ようもつざ)という役所があった建物があります。
広福門を下之御庭から望む。
奉神門(ほうしんもん)首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門。
首里森御嶽は城内にある十カ所の御嶽「十嶽(とたけ)」のうちのひとつで、首里城公園内にあるパワースポットのなかでも一番と言われています。首里城内で最も格式の高い拝所のと言われ「琉球開びゃく神話」によると、神が造られた聖地であるとされています。首里森御嶽の説明。
首里城正殿、琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれ琉球独自の色彩が目を見張ります。城内に入ります。
首里城正殿を後に、・・・付近の景色。
久慶門(きゅうけいもん)、首里城外郭の北に位置する通用門で、おもに女性が出入りしていました。現在の門は昭和58に復元されたもで出口専用になっています。
神が降りて願いを聞いてくれるというパワースポット、アカギの大木。
守礼門をあとに。石畳の道、緩やかな下りとなっています。帰路の途中ハブに注意「猛毒・キケン」の看板発見・・
約1時間半の観光でしたが、見どころ満載でした。