キリシタン墓地 きりしたんぼち
歴史
大分県下では最大の墓碑群。
基本情報
湯布院のキリシタンは、天正8(1580)年、奴留湯氏が領民2000人とともに洗礼を受けたのが最初で、この地には、悲しい結末を迎えた隠れキリシタンたちが数多く眠っている。
案内板
大分県指定有形文化財 昭和35年3月22日指定
由布院(峯先)のキリシタン墓群
当地のキリシタンは、約410年前の天正8年(西暦1580年)湯布院郷士の一人奴留湯(ぬるゆ)左馬介が部下とともに洗礼を受けたことにはじまる。
その翌年には伝道所が設置され、天正14年には立派な教会堂が建てられ、領主フランシスコ大友宗麟の庇護もあり、信者は1500人とも2000人
とも言われた。
しかし、徳川幕府の禁教により慶長19年(西暦1614年)以降、きびしい「宗門改め」が行われ、キリシタンは一応終焉したが、
いわゆる隠れキリシタンとなった者も多くいた。
歴史を物語るように町内には、多くのキリシタン墓があるが、一番多いのがこの並柳・峯先墓地で、十字章のあるもの30基、
隠れキリシタンのものと見られるもの約40基があり、苔むした墓に昔の面影が偲ばれる。
湯布院町教育委員会
住所 | 由布市湯布院町川上716 |
アクセス 公共交通 | JR久大本線由布院駅からタクシーで5分 最寄駅 > 由布院駅(JR)~1.701km |
アクセス 車 | 最寄IC > 湯布院IC(大分自動車道(1))~46.535km |
TEL | 0977-84-3111 |
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