本蓮寺 ほんれんじ
西坂公園から東南へ小さな石段を下ったところにある日蓮宗の寺。境内にはキリシタン弾圧の際に信者が投げ込まれたという伝説が残る南蛮幽霊井戸があります。
勝海舟[かつかいしゅう]やシーボルトの妻子お滝とおイネが投宿した寺としても知られます。
「南蛮幽霊井戸」
本蓮寺がある場所はかつてキリシタンが所有していて、サン・ジョアン・バプチスタ教会とサン・ラザロ病院が建っていたという。
天正15年(1587)の豊臣秀吉によるバテレン追放令が出されると、この教会は焼き討ちにあい、教会内にいたキリスト教信者たちは火の手から逃げられず、ロザリオを手に次々とその敷地内の井戸に身を投げたそうです。
建物は焼けたが、多くのキリシタンが身投げした井戸はそのまま残されました。その33年後の元和6年(1620)、教会の跡地に本蓮寺が建てられました。
不気味なうめき声やすすり泣きが、井戸の方から毎夜毎夜聞こえてくる・・・
この噂聞いた日親と言う若い僧が、怪異の原因を突き止めようと、短刀を隠し持って井戸の隣にある部屋に泊まりました。
その部屋の入口の杉戸は、南蛮杉戸と呼ばれる南蛮様式のもので、そこにはキリシタンの老人が描かれていました。
真夜中。日親がうとうとしていると、庭の井戸の底から大勢のうめき声や、泣きわめく声が聞こえてきました。そして部屋の中を誰かが歩いている気配がするので慌てて眼を開けると、なんと杉戸の絵の老人が中から抜け出し、眼を爛々と輝かせながら日親に向かって近づいてきました。驚いた日親は「おのれ化物!」と恐怖に震えながらも、老人の不気味に輝く目に向かって短刀を突き立て、気を失なってしまいました。
翌朝、寺の僧達は日親が高熱を出して倒れているのを見つけ。
また、杉戸の老人の絵は、片目がくり抜かれていました。
日親は何日も熱に苦しんだ末、死んでしまったと言います。
今も長崎に伝わる、『南蛮井戸』の物語です。
昭和20年の原爆により、杉戸の方は焼けてしまっいましたが、井戸は残り、「南蛮井戸」と呼ばれ、今も本蓮寺にその姿をとどめています。
住所 | 長崎市筑後町2-10 |
駐車場 | あり(無料) 拝観用につき連絡が必要 |
アクセス 公共交通 | JR長崎駅から徒歩5分 最寄駅 > 長崎駅前駅(長崎電気軌道)~407m |
アクセス 車 | 長崎道長崎芒塚IC5km12分 最寄IC > 長崎市新地町IC(ながさき出島道路)~10.485km 長崎IC(ながさき出島道路) |
TEL | 095-822-1652 |