法華堂跡 源頼朝墓・北条義時墓 ほっけどうあとみなもとのよりとものはかほうじょうよしときのはか
源頼朝公の墓
基本情報
大蔵幕府跡の背後にある大倉山の中腹に鎌倉幕府を築いた源頼朝、北条義時の法華堂跡がある。安永8(1779)年、頼朝と縁深い薩摩の島津重豪が整備した。現在の頼朝の墓塔は近年の復元である。
碑文:
堂はもと頼朝の持仏(守本尊)を祀れる所にして 頼朝の薨(こう:死)後其の廟所(びょうしょ)となる 建保五年(1217)五月 和田義盛(よしもり)叛(はん:背く)して火を幕府に放てる時 将軍実朝(さねとも)の難を避けたるは此の処なり 宝治元年(1247)六月五日 三浦康村此に篭(こも)りて北条の軍を邀(げき:迎撃)へ 刀折れ矢尽きて 一族郎党五百余人と供に自尽し 満庭朱殷(しゅあん:赤黒色)に染めし処とす
住所 | 鎌倉市西御門2-5-2 |
アクセス 公共交通 | JR横須賀線鎌倉駅から徒歩20分 最寄駅 > 鎌倉駅(JR) |
アクセス 車 | 最寄IC > 朝比奈IC(横浜横須賀道路) 釜利谷JCT(横浜横須賀道路) |
TEL | 0467-23-3000 |
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