所沢航空発祥記念館 ところざわこうくうはっしょうきねんかん
「日本の航空発祥の地」として知られる所沢の航空公園にあり、所沢航空記念公園のシンボル的存在で1993年に開館した施設。
航空機の実物が多数展示、フライトシミュレータを使った操縦体験をすることもできる。
住所 | 所沢市並木1-13 |
営業時間 | 9:30~16:30(閉館17:00) |
料金 | 展示館:大人520円、小・中学生100円、65歳以上420円(20名以上で団体割引あり 大人420円、小・中学生80円) 大型映像館:大人630円、小・中学生260円、65歳以上520円(20名以上で団体割引あり 大人520円、小・中学生210円) 共通割引券:大人840円、小・中学生320円、65歳以上680円(20名以上で団体割引あり 大人680円、小・中学生260円) |
休業日 | 月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29~1/1)※12月の第3火曜は臨時休館 |
駐車場 | あり(有料) 2時間まで無料、以降普通車は1時間ごとに100円 |
アクセス 公共交通 | 西武新宿線航空公園駅から徒歩8分 最寄駅 > 航空公園駅(西武鉄道)~746m |
アクセス 車 | 最寄IC > 所沢IC(関越自動車道)~6.983km |
公開サイト | tam-web.jsf.or.jp |
TEL | 04-2996-2225 |
レポート
当日は零戦の展示があり期待が膨らみました。
日本初の試験飛行が、東京の代々木練兵場(現・代々木公園)から所沢に移送され事を記念し、日本の航空の発祥として建てられた博物館です。場所は、所沢航空記念公園の敷地内にあります。駐車場は南側・北側など数箇所あり2時間まで無料です。
記念館入口から様子です。ジェットエンジンの姿をモチーフにした展示館。振り返り公園を見た写真です。C-46中型輸送機がひときは目立ちます。館内の案内図。
型映像館入り口。展示館入り口とインフォメーションカウンター。ここで入場料金を支払います。今日は、ゼロ戦特別展示があり、そちらも見学で併せて、大人1人1000円でした。
宙にセスナ・ヘリコプターなどが吊るされ、浮いています。黄色のプロペラ機はノースアメリカンT-6G中等練習機で、1934年(昭和9年)に設計され、33ヶ国向けに1万5千機以上が生産されたそうです。
右下の写真はヒューズOH-6J アメリカ軍での愛称は「カイユースで機体形状から「フライングエッグ(空飛ぶ卵)」の別名でも呼ばれています。陸上自衛隊は1969年から調達を開始、A型 を日本向けに改良したJ型が川崎重工によりライセンス生産され(少数機が海上自衛隊にも納入)。後にエンジンを出力の高いアリソン社製250-C20B(420hp)に変更したD型も1979年から納入開始されました。
左側はアメリカの航空機メーカー、シコルスキー・エアクラフト社が製造した、陸・海・空自衛隊仕様シコルスキーH−19ヘリコプター。ライセンス生産で自衛隊に66機が導入されたそうです。
中の写真はバートルV-44ヘリコプター アメリカのパイアセキ社(後のバートル社)の大型輸送ヘリコプター。胴体全幅2.45m・胴体全長16.04m・全高4.70m 、自衛隊での愛称は『ほうおう』で、日本最初の大型ヘリコプターとして、おもに航空救難活動に使用され、1972年までに退役されたそうです。右の写真はコクピット
バートルV-44ヘリコプター内部の様子。乗員:2名・乗客:20名 バートルV-44を後部から眺めた様子。航空グッズお土産も、沢山販売されていました。
セスナT390Qスカイナイト。セスナT390Qスカイナイト説明。コクピットの様子。コクピット内のメーター類。サイドには色々なスイッチが並んでいました。座席は狭く正面の視界は悪く、飛行するのは技術や、コツが必要だなと感じました。
ニューポール81E2のレプリカ。ニューポール81E2はフランスのニューポール社製で埼玉県出身の操縦士 岩田正夫が当時のフランスから個人輸入し、1926(大正15)年、郷土訪問飛行の後、地元に寄贈され残存していた機体の前部を展示物とし、レプリカを作成し展示してあります。
いよいよ零戦の展示会場へ。零戦五二型は、2012年12月から所沢航空発祥記念館で行われている「日本の航空技術100年展」の目玉となっています。
零戦の展示が好評なので、所有者のプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館(米国東部)と展示延長に関する交渉をしたところ、8月末まで展示することに合意しされ、延長したとのことです。零戦五二型(展示している零戦)は1944(昭和19)年6月にサイパン島で米海兵隊によって無傷の状態で接収され、その後、プレーンズ博物館の創設者が引き取った貴重な機です。
この零戦は堀越二郎・三菱航空機技師が設計を担当し、全幅11メートル、全長9・1メートル、最大速度は時速約564キロ、航続距離1920キロもあり当時、世界的に飛行性能が優秀な飛行機として評価された機です。3枚のプロペラ。
航空管制卓。レーダー類は平成4年3月迄運輸省東京航空交通管制部で使われていたものです。通信用レシーバーなどの備品や当時、パイロットが着ていた飛行服。
日本最初の飛行場のあらまし。気球隊の看板。カフェレストランウイングとFLYING SPRITS(航空グッズ店)
FLYING SPRITS(航空グッズ店)内部の様子。
見ものは、飛行可能なゼロ戦展示でした。製造当時のエンジンを搭載した零戦では世界で唯一飛行可能な機体で、本物志向の方は必見だと思います。そのほか、第一線で活躍してきた飛行機やヘリコプターの実物が所狭しと展示され、実際に触れることもでき、飛行機を間近に感じられるスポットでした。